半色 五

 極月九日夜半、重盛の館に雑色が飛びこんできた。
「申し上げます! 水無瀬参議殿率いる兵ども、三条殿を襲い、当今と院の御身柄を手中にされた由!」
「何!」
 参議・信頼の手下に、多くの坂東武者があることは知っていたが――かれは、それを動かし、三条殿を襲わせたと云うのか。だが、一体何のために?
信西入道は逃げおおせた由、左馬頭以下のものどもが、その行方を引き続き追っていると……」
 ――狙いは、信西入道であったか……!
 確かに、信西の一族は、近ごろ急激に台頭し、その地歩を固めつつあった。その過程において、大江氏や高階氏が代々引き継いできた役職などをも侵蝕し、かれらの顰蹙を買っていたと云う話も聞いてはいた。
 だが――では、それらの家のものどもが、信頼などと手を組んで、信西一族を襲わせたと云うのだろうか?
「――ともかくも、父上に使いの者を! 疾くみやこへ御戻りあれとお伝えせよ、早う!」
 重盛は叫んだ。
 混乱していたし、無力さを感じてもいた――平家の郎党は畿内近隣に在してはいたが、今すぐ動かせる在京のものなど、指折り数えられるほどでしかない。
 まして、相手の兵は、勇猛で音に聞こえた坂東武者なのだ。畿内の柔弱な兵どもが、果たしてどれほど相手になるものか、心許ないと云うより他になかった。
 ――迂闊には動けぬ。
 ともかくも、重盛には状況が見えていないのだ。院の近臣でしかない重盛にとって――まして、成親のように、摂関家に連なっていると云うわけでもない――、当今の近臣たちの思惑や、高階などの諸家の思惑などは、まったくの埒外のものだった。
 太宰大弐である父であれば、そのような諸々の思惑とは別に、官としての立場で、この事態に対処できたのだろうが――重盛はただ、身を低くして様子を窺うより他に、為すすべを知らなかった。
 軽々しく動いては、それが後々平家の不利になるやも知れぬ。そのような事態だけは避けねばなるまい。持ち堪えねば、父が戻ってくるまでは。
 とは云え、むろん、漫然とただ待っているだけ、と云うわけにはいかなかった。
 父が戻ってきたならばすぐにも動き出せるように、兵も武具も整えておかねばならぬ。そうして、信頼らの一派がどう動くのか、どれほどの公家たちが彼らに同心し与力するのか、じっと注視しておかなければ。
 重盛が動けずにいる間に、事態は着実に動いていった。
 三条殿襲撃の翌日、信西入道の子息たち――参議・俊憲や権右中弁・貞憲など――が捕縛された。
 さらに四日後の十二月十四日には、逃亡していた信西入道が自害、その骸は曝され、首は獄門に掛けられた。
 こうして、信西入道の一族は、数夜のうちに政の舞台から一掃されてしまったのだ。
 ――父上は、未だ戻られぬか。
 じりじりしながら、ただひたすらに待つ。
 使いの者は、既に父のもとへ辿りついたはずだ。今すこし、今すこし待てば、父は戻ってくるに違いない。
 だが、父の帰りを待つこともなく、事態は刻々と動いてゆく。
 十四日のうちに、参議・藤原信頼が中心となって、臨時の除目が行われたのだ。
 いずれも信西追討に功のあったものたちへのもので、左馬頭・義朝は国守の長たる播磨守に、その嫡子たる小冠者は右兵衛権佐に、それぞれ位階を進められた。
 ――父上は、未だ戻られぬか。
 父の居ぬ間に、源氏が朝廷を私するのではないか――義朝の位階は従四位下で、正四位下・太宰大弐たる父・清盛にはまだ及ばぬ。とは云え、かれはかの信頼と気脈を通じている。もしもこの先、信頼が政の中心にあり続けるとするならば――父と義朝の位階が、逆転するような事態とならぬとも云い切れぬ。
 重盛は待った。ただひたすらに待った。
 やがて十七日になって、父はようやっと、京の土を踏んだのだった。
「父上! お戻りなさいませ!」
 喜びと安堵と焦りの入りまじった心持ちで出迎えると、父は、重盛を制するかのように、ゆっくりと旅装を解いた。
「父上!」
 焦れる思いのままに声を上げるが、父は慌てず騒がず、
「まぁ、そう急くな」
 と云いながら、平服である狩衣に衣を替えた。戎服ではない――本当に、出陣するつもりはないと云うのか。
「ですが、父上!」
 このまま手をこまねいていては、世は信頼や、播磨守となった義朝のものとなってしまうのではないか。
「急くなと云うのだ、重盛よ」
 父は、手にした檜扇をさらりと開き、また閉じた。
信西入道は討たれ、その子らは捕えられた――したがそれは、確かに院や当今の信を得たものどものなしたこと。迂闊に動けば、我らとて朝敵の謗りを受けることにもなろう。……そもそも、汝のあの文を読んだのみでは、この先、誰がもっとも当今の信を得るものか、皆目わからぬではないか。儂も、政の機微には疎い。しばらくは、ことのなりゆきを見定め、ものごとが決してより動くとしても、拙劣とはなるまいよ」
「ですが!」
 それで、みすみす信頼たちが権勢を恣にするのを、ただ座視するしかないと云うのか。
「聞いたところではの」
 と、父に口にしたのは、信じられないようなことばだった。
「粟田口参議殿と新大納言殿が、水無瀬参議殿に与力しておるようでな」
「――何と……!」
「御二方とも、ともに当今の近臣であられる――となれば、よくよくことの次第を見定め、なりゆきを見守っておかねば、いつ朝敵と貶められることになるやも知れぬでな」
「……確かに」
 重盛の耳には、参議・藤原惟方、大納言・藤原経宗の加担の話までは入ってきてはいなかった。
 父が、それを耳にしていて本当に良かった――これで迂闊に兵を繰り出そうものならば、最悪、朝敵と指さされ、左馬頭らに討伐されていたやも知れぬのだ。
「そうそう、汝と懇意の右中将殿、あの方も、水無瀬参議殿に加担されておいでのようだの」
「右中将様が……!」
 そのような話など、成親からは一切されはしなかった。同じ院の近臣であると云うのに――やはり、公家と武家、その意識の差は、重盛が思う以上にあったと云うことなのか。
「……やはり、我々は公家のうちには入れぬのですね」
 その端に足をかけたと思っていても、武家武家、所詮は成り上がりでしかないと云うことなのか。
「儂はの」
 と、父は円座に腰を落ちつけて、云った。
「己を、武辺の粗忽者とわきまえておるのだ。此度の熊野詣にしてからが、留守にこの様と知っておれば、出掛けずにあっただろうと思わずにはおれぬのだ。――だが、過ちは一度でたくさんじゃ、同じ轍を踏むつもりなどないわ。此度こそは、ことのなりゆきを見定め、正しく兵を動かさねば、の」
「――はい」
 そうだ、正しくことの移りゆく様を見定めねばならぬ。
 公家にとっては、武家などはいくらも替えのきく駒のようなもの、平家が己の利に適わねば、源氏を重用するだけのことだ。武家にできるのは、せいぜいが、公家に見限られることのないように、かれらの機嫌をうかがい、政の流れを見極めながら、己の地歩を固めていくことくらいなのだ。
 そうとも、失敗は許されぬ、慎重のうえにも慎重を期し、ことの推移を見守らねばならぬ。
 父が帰京して五日の後――二十二日には、信西入道の子息たち――参議・俊憲、権右大弁・貞憲、播磨守・成憲、美濃守・脩憲ら――の配流が決定された。
 これで、信西入道の一族は、政の舞台から一掃された――と思った途端に、事態はまた大きな動きを見せた。
 二十三日、参議・惟方、大納言・経宗両名よりの使者が、ひそかに父の許を訪れたのだ。
「水無瀬参議殿は、畏れ多くも当今を三条殿に御籠め奉り、自らは権勢を恣にしている由。貴殿に忠の心のあるならば、疾く当今を御救い申し上げ、不忠の輩を討つべしと云々」
 風折烏帽子を被ったその男――大方、どちらかの家の下人でもあろう――は、そのように両名よりの文を読み上げた。
 父は、階の上から、軒先に立った男の文読む声に耳を傾けていたのだが、文が終わるや居ずまいを正し、
「承知仕った」
 と声を張り上げた。
「――重盛よ、時機到来じゃ」
 使いの者が門を出ていくと、父は、にやりと笑って腰を上げた。
「信頼めが墓穴を掘りおったわ。当今を押し籠め奉るなど、下の下々の策よ。都人のすべてを敵に回しおって……」
 まぁ、儂にとっては僥倖であったがな、と云って、父はまた、ふふと笑った。
「ともあれ、主上をお救い申し上げねばなるまいよ。重盛、汝、何ぞ良い腹案は持たぬのか」
「良い案、と云われましても……」
 まだ若い当今を、敵の目から隠すなど――いや。
「……女房装束をまとうて戴く、と云うは、如何でございましょうや」
 女房姿であれば、男どもに顔を晒さぬよう、檜扇などで隠すこともできる。鬘をつければ、なおわかり辛くなるだろう。女の衣をつけるだけで、脱出はずっと容易になるはずだ。
 だが、問題は、
「――主上に、女のなりをして戴けるよう、説得するがかなうや否や、が肝と云うわけか」
「はい」
 父の言葉は、そのまま重盛の懸念でもあった。
 そう、現人神たる帝が、方便とは云え、女のなりをなさることに諾と云われるかどうか。
 これが院――こちらは、押し込められてもおられず、自儘になされていると云うことだった――であれば、下々のものにも親しく交わられる方ゆえに、女の衣をまとうことも忌避されることはなかろうと思われたが――当今は、亡き鳥羽院に直系と定められた、生れながらの誇り高き帝。その方が、いくら逆族の手を逃れるためとは云え、女の姿に身をやつすことを良しとされるだろうか。
「……ですが、他に良い方策もございますまい」
 重盛は、強い語調で父に云った。
主上をお救い申し上げねば、我らがどのような行動をとったところで、“朝敵”の謗りを受けるはまぬがれぬことと、さよう仰せられたは父上ではござらぬか。主上には、どうあっても耐え忍んで戴かねばなりませぬ、御二方にも、その旨強う仰ってくださりませ」
 そうとも、信頼が失態を見せ、当今や院の信を失った今こそが、好機なのだ。
 当今を――そして院を、こちらに御移し奉り、己らこそが官軍ぞと、高らかに宣してやれば、味方の士気は上がり、敵の士気はがたりと落ちよう。
「――確かに」
 暫の沈黙ののち、父はゆっくりと頷いた。
「御二方が、信頼の手を脱して下さらねば、我らはこのまま、源氏の風下に立たされることにもなりかねぬな。――相わかった、粟田口参議殿より主上まわりの方々へ、働きかけをお願い致すとするか」
 思い定めれば、父の行動はいつでも素早い。
 その日のうちに父は手紙をしたためて、惟方・経宗双方へ使いをやり、重盛の案を奏上してくれるよう願い出た。
 御二方より、“諾”の返答があった旨の知らせが届いたのは翌二十四日の昼、続いて夕刻あたりには、女房装束、鬘、女車など、脱出に必要なものどもが揃い、三条殿に運ぶ手立てもついたとの知らせが入った。
「――さて、では、支度は整うたな」
 父はにやりと笑い、二十五日早朝、信頼側に使いのものを立ててやった。
「名簿をさし出す」
 と云って、父は檜扇でたなごころをぱしりと打った。
「信頼とても、粟田口参議殿らの動きには勘づいているところもあるのではないか。なればこそ、儂が名簿をさし出してやれば、きっと彼奴めは安堵しよう――そこに、気の緩みが出る。我らのつけこむ隙も出てこようと云うものだ」
「……確かに、さようでございまするな」
 そうであれば良い、と、祈るような気持ちで思う。
 信頼は、院の並々ならぬ寵愛を受けたものなのだ。当今は、惟方・経宗に信を置いておられるであろうから、信頼のやり方に御不興であられる、と云うのは真の話であったろうが――さて、院の御胸中はとなると、皆目見当もつかぬ、と云うのが正直なところであったので。
 父は良い――父は、故・鳥羽の院の近臣であったのだが、一の院とはすこし間を置いているようなところがあった。よし、院の御意向が惟方らとともになかったとしても、父は、当今を上に戴くことができれば、いか様にも動き得るだろう。
 だが、重盛はそうはゆかぬ。父とは異なり、院の近臣である重盛は、院の御意向と無関係に動くことはできぬ。そんなことをすれば、院を裏切ることになるからだ。
 信頼方についたと云う成親の動きが、気にはなっていたのだが、
「――ともあれ、主上と院とが、無事に三条院を脱されるまでは、我らとても気を抜くわけにはまいりますまい」
「わかっておるわ」
 父は、少々うるさげに手を振ってきた。
「したが、御二方が無事に脱された上は、我らの出番よ。戦支度は整っておろうな?」
「無論のこと」
 旗印さえ奪ってしまえば、あとは力ずく、つまりは自分たちの出番であるのだ。
 近隣の武者たちにも声をかけ、駆武者なりとは云えども、それなりの数は揃えることができた。今も声がけをしている相手も含めれば、その数は、信頼方に倍するやも知れぬ。
 この戦いには負けられぬ、負けるわけにはゆかぬ。今まで築き上げてきたものを、この一期にて失うなど許されぬのだ。
 果たして。
 父よりの名簿を受け取ったことで、信頼方には気の緩みが出たものか――その日の夜、女房姿に身をやつされた当今は、信頼の手のものの目をかいくぐり、無事に三条院を脱せられた。院も、前後して脱せられ、信頼方は旗印を失うことになった。
 そしてそのまま院は仁和寺へ、当今は、何と六波羅の父の邸へ御渡りになったのだ。
 これには、重盛はもちろんのこと、父にとっても心強いことこの上なかった。
「見よや、主上の御意は、我らが上にあり!」
 父の叫び声に、六波羅の庭先に集まった武者たちは、大きく鬨の声を上げた。
「おお、これほどのものたちが、主上の御為に……何とも心強いことにござりまするな!」
 当今をお連れしてきた参議・惟方が、感極まったようにそう云ったが――それはおそらく、御簾の奥にまします当今の御心でもあっただろう。
 当今は、改めて信頼らを追討すべき旨の宣旨を出され、ここに、かれと左馬頭一門とは朝敵となったのだ。
 そして、明けて二十六日、戦いの火蓋が切って落とされることになる。


† † † † †


お待たせ致しました、「半色」続きでございます。
今回は、政治とか戦とか、そんなんばっか〜。


って云うか、やっぱどうも初期から政治情勢のあれこれを脳内で固定していなかったツケが回ってきてまして(汗)、いろいろ矛盾が出てますね……
そもそも、信頼のキャラがまだイマイチ固定してない(←ヒドい……)ので、その辺からしてぐだぐだなのですが。
院はねー、高橋克実tasteでOK(顔は伊武雅刀で)なので。っても、入道相国殿は、マツケンではありませんが(←っつーか、まったく想像がつかんよ、この人……)。
佐殿なら、勘三郎にお願いしたいって、はっきりイロイロあるんですけどねェ。でもって、和田が内野さんで、佐原が江口洋介で、義澄はトヨエツで。愛甲は松潤とかいいな、いや、雰囲気ですが。あ、大江広元は池端慎之介で。譲らないったら譲りませんよ。
で、この辺のデカい人たちで、勘三郎の佐殿を粛々と押し包んでいただきたい。萌えます!


ともかくも、書き終わってからでもいいので、政治情勢きちっと把握して、もうちっと勢力図がきっちり見えるように書き直したいですわ……
そうそう、今回、割と新しい学説を参考にしたので、この後の戦いは、御所内部は舞台になりませんです。
が、義平兄は出すつもり。一味も二味も違う重盛vs義平にするつもりなので、気長にお待ち下さいませ……(汗)<追記 ここから>あ、ところで、本日(六日)発売の月マガ、『遮那王義経』が萌え! (燃え?)
佐殿が――ちょ、少年漫画誌で、“佐殿=後白河院愛人説”やるのはありなのか? 少女漫画ならともかくとして!
とりあえず、夢で魘されてがばと跳ね起きる佐殿に萌えました♥ や、これが重盛相手なら、萌え萌え云ってらんないと思うんですが――後白河だしな!
個人的に、佐殿子ども時代にアレコレあったとしても、後白河に関しては、そんなトラウマになってないと思うんですよね。だって、佐殿最初の上洛時(=1190年)、後白河と会談してるのですが、もしもトラウマになるようなことをされてたら、余人を交えずに会ったりはできないと思うんだ、怖くって。
まァまァ、でもまァ、だからこそ、後白河がトラウマになってる佐殿の絵なんか見て、うひうひ云ってられるんですけどもね! 重盛相手なら、こうはいかんわ……


あ、そうそう、この話、6章くらいで終わりますとか云ってましたが――すみません、多分8章になります……(汗)
や、義平兄の件はともかくとして、アレだ、池殿こと頼盛が何か出張ってきたので……重盛vs頼盛の陰険な闘いも、ちょこっとね……
っつーか、頼盛、もっと温和なキャラだとずっと思ってたのですが――そんなことないね、どっちかと云うと公家っぽい人だもんね……ふふふふふ……
っつーか、これ以上延びないように頑張りたいですよ……(汗)<追記 ここまで>


さてさて、この項終了。
次は四郎たんの話、って云うか、世阿弥周りの話で!