北辺の星辰 70

 二日、ブリュネやカズヌーヴら仏軍士官らが、自国の船に乗って、箱館を落ちていった。
「まぁ、仕方なかろうな」
 訊ねていった千代ヶ岱陣屋で対面した中島三郎助は、そのように云って茶を啜った。
「もはや戦局はいかんともし難いことになった――南軍が英米の後押しを受けていれば、のちのち仏蘭西との紛争の種にもなりかねん、そうなる前に、早々に撤退させるが、母国のためには正しいことであろうからな」
 かつて浦賀奉行与力としてペリー艦隊と応接したこともあり、また勝や永井玄蕃などとも親交のあるらしい中島は、歳三よりもよほど異国の事情に通じているようだった。
「異国から見ても、もう戦局は決していると思われましょうか」
 歳三の問いに、中島は片眉を上げた。
「どこからどう見ても、我らに勝ち目などあるまいよ」
「それは……まぁ、然様でございましょうが」
 公平な目で見れば、幕軍の不利など明白だ。味方もない、資金もない、兵力もない。これでどうやって、今や蝦夷地以外すべてを制圧したらしき南軍を相手にできようか。
 そして、矢不来や二股口を放棄した今となっては、箱館府はいつ降伏するか、秒読みに入ったようなものだった。
「夜襲は、まだ続けておるのか」
「はい、今宵も夜討ちをかけると聞き及んでおります」
 歳三が帰参してすぐの一日夜から二日払暁にかけて、新撰組を含めた幕軍の諸部隊は、迫りくる南軍相手に夜襲をしかけていた。
 むろん、数で勝る南軍を、それでどうこうできようはずはないが、ともかく相手に少しでも痛手を与えられればと、そのような一念からの出撃であるようだった。
「ふむ、まぁ、戦う期間を多少長引かせられる程度のことだろうな」
「さようでございましょうな」
 歳三とても、夜襲などで戦局が変わると夢を見るほどには、南軍の戦力を楽観視しているわけではない。
 この夜襲はあくまでも、幕軍兵卒の士気を保つためのものであって、そもそも勝算云々は二の次なのだ。
「……実のところ、中島さんは、この戦の終わりをいつごろとお考えですか」
「南軍が進軍をはじめて五日、と云うところではないのか」
「――五日」
 それを、長いと思うか短いと思うか。
「榎本が降伏を受け入れるまでの話だぞ」
 なるほど、それならば短いか。
「榎本さんは、どれくらい負ければ降伏だと云い出されますかねェ」
「お前が死んで、俺が死ねば、まぁ降伏するだろうな」
「あぁ……」
 要するに、複数の幹部が戦死しなければ、降伏することを認めはしないだろう、と云うことか。
「少なくとも二人、と云うことでございますか」
「隊長格では、中々降伏とまではゆくまいよ」
 伊庭のことを云っているのだと、すぐにわかった。
「ゆきませぬか」
「ゆかぬだろうよ、あ奴は、上野戦争の折、命ぜられたからとは云え、彰義隊を見殺しにした男だぞ」
「それは……」
 知らなかった。
 だがそう云えば、彰義隊の生き残りだと云う陸軍の兵士たちは、榎本ら海軍のものどもを、激しく憎んでいたように思う。
 それを、歳三は、てっきり仙台からこれまでの海軍の数々の失態によるものだと思っていたのだが――上野戦争からと云うことになると、随分根が深いことになるのではないか。
「……榎本さんに、陸軍が従わぬと云うことにはなりますまいか」
「だから榎本は、お前を己の側につけようと必死なのだろうよ」
 中島は嗤うがしかし、
「陸軍は大鳥さんがあるではありませんか」
 陸軍奉行の大鳥圭介は、作戦にはいささか難はあるものの、人物としては中々に器も大きく、あれだけ大敗を喫しながらも部下の心が離れてはいない。正直、軍人として部下に持ちたくはない大鳥ではあるが、あれはあれで、ひとかどの人物、つまりは将の器であるのだろうとは思う。
 が、中島は首を振った。
「大鳥は“常敗将軍”ではないか。あ奴がおっても、士官は何とか取りこめようが、兵卒の心までは掴めまいよ」
 兵は、強い、己を生き延びさせてくれる将を求めるものだからな、と云う。
「そのようなものでございますか……」
 京のころから、副長、参謀、奉行並と、第二位の地位にばかりあった歳三には、その感覚はよくわからないものだった。
 もちろん、榎本ら海軍組の幹部にいいように使われていると云う意識は、歳三の中にもなくはなかった。が、それも“箱館府”と云うひとつの組織を動かす上で、仕方のない部分であると考えていたのだ。
 組織と云うのは、結局のところそう云うものだ。他人よりも余計に働くものがあれば、逆にまったく働かないものもある。歳三としては、個々人の力量に差があることは仕方がないことだと考えていたし、できる人間ができるだけやれば良いことだと思ってもいた――均等な割り振りなど、力量差がある以上は不可能だ。それならば割り切って、やれる人間がやれるだけやればいいだけのことだ。上に立つものは、その差を評価によって埋めてやる。そうすることによって、心情的な不平等感は軽減され、上役に対する信頼も生まれ得るのだ。
 また、上に立つものが戦下手であろうとも、下についている戦上手が作戦を立て、それを上役が指揮するのであれば、何とかなる場合が多いと云うことでもある。
 ――戦国の世の軍師と同じことか。
 上に立って人間を差配する“将”あっての戦と云うことは。
「そのようなものだ」
 中島は頷いた。
「大鳥は、例の適塾の出身故、確かに智恵はあるのだろうさ。だが、ともかく戦を知らん。その故の“常敗将軍”だ。士官どもは、それでもあ奴の智恵を尊重するだろうが、兵卒はどうであろうな」
 “例の”と云われる適塾を、歳三は知らぬ。が、いずれ雨後の筍のごとくにあらわれた私塾のひとつであろうとは察し、中島の言葉に頷いた。
「よほど添役が有能でなくてはなりませぬな」
「有能なれば、大鳥についたままではおらぬだろうさ。つまりはそう云うことだ、あ奴では、幕軍は満足に働かぬだろうよ」
「となれば……」
「だから云うのだ、俺とお前が死ねば、この戦いは終わるとな」
「――ならば、早い方が宜しゅうございますな」
 生き延びれば生き延びただけ、被害が増えると云うのであれば、早々にけりをつけた方が良いだろう。
 いずれ、南軍は箱館に総攻撃を仕掛けてくるに違いない。戦争には金がかかる、まして、この最果ての地での戦いだ、南軍とても無尽蔵に金や人をつぎこめるとは思われぬ。一気に叩き潰してやりたいと考えているだろうことは明らかだ。ならば早晩、総攻撃はある。
 そしてそうなれば、金にも人にも乏しい箱館府は、あっと云う間に潰されてしまうに違いない。
 それでも、多少なりとも抵抗しようと試みるならば、それだけ受ける被害は大きくなる。早々に“将”が消えれば士気は下がり、幸福への道が近くなる、それならば、そのように計らってやるべきではないか。
「南軍も、今すぐ一気呵成にと云うわけにはゆくまいよ、何しろ江刺や松前などから上陸してくる故にな」
 と云いながら茶を飲む中島の脳裏には、蝦夷地の地図が浮かんでいるのだろう。元々海軍畑の中島だ、その中でどこが上陸地に適しているのかは、すべて頭に入っているはずだ。
「ならば、南軍が結集して総攻撃となるは、いかほど後になると思われますか」
「さて――あと十日ほどではあるまいか」
「十日……」
 それで開戦、となると、どれほど力を尽くしたとしても、敗戦は五月のうちだろう。
 中島の予想は、さらに短かった。
「月の半ばまで保てば御の字ではないか」
「開戦から、五日も保たぬと云うことですか」
「だから、俺とお前が死ねばの話だぞ」
 とは云え、その予想は中々に衝撃ではあった。
 しかし逆に云えば、それだけ短期で終わるのだ、損害も少なくて済むと云うことである。
 ――良いじゃねェか。
 呆然とすると同時に、そのような思いもわき上がってくる。
 勝は、そもそも幕府脱走軍を江戸まわりから排除することを、江戸を戦場にしないためだと云っていた。
 江戸は八百八町と云われる大きな町だ、そこに住まうものも百万は下るまいとも云われていた。そんなところであるから、そこで戦が勃発しようものなら、焼け出される人や巻き添えになるものも、膨大な人数になるだろう。そのことを憂いての指示であろうと了承していたのだが――その勝が見たならば、箱館もまたひとつの大きな町であり、そこでの長々とした戦をこのむまいと思ったのだ。
 それ故に、
 ――良いじゃねェか。
 派手に戦ってぱっと散り、戦を短くて終わらせる、それはまさしく、勝の意に沿うことだろうと思われた。
「――悪い顔をしておるな」
 中島に云われ、思わず顔を撫でる。
「それほど悪うございますか」
「ああ、悪い、狐の顔だ」
 にやりと笑う。
「まぁ、良いではないか、狐でも。狐でなくば、この戦で、兵卒を生かして帰してはやれまいよ」
「……さようでございますな」
 そうとも、間違えてはならぬ、歳三のなすべきは、善人になることならで、悪人と名指しされようとも実を取ること、それのみなのだ。
 ――さて、最後の大仕事だ。
 自らは死に、幕軍を敗北させて、兵卒は生かす。それこそが歳三のなすべきことなのだ。
 面白そうに見返してくる中島に、にっと悪く笑んでみせ。
 歳三は、茶碗に残った冷めた茶を、ぐいと一息に飲み干した。


† † † † †


はい、鬼の話の続き。中島さん!!!



この辺になると、もうやることもなかったと思う(嵐の前の静けさ的なアレで)ので、中島さんとまったりお茶。
中島さんは、武蔵野楼のアレコレでも出てきますよー。ふふ。



前回何か書こうと思って忘れたーと思っていたのですが、いざ更新しようとしたら、また何書こうかすっぱり忘れていると云う罠。最近、短期記憶の減退甚だしいですな。あきまへん。
そう云や、職場の新しい男子(でも、他所で働いた後での転職組だから、結構そこそこお歳なのでは……)が、変わった苗字+スキンヘッドで、同じ苗字のお坊さんいたなーと……お坊さんの方はかなり年配なので、親子とか……? いやいや。まぁちょっとときめき。坊主頭なら何でもいいのか。そんなこともないはずだが……
そう云や、最近坊主バーにも行ってないね……たいばにに貢ぎ過ぎ(汗)。はは。



とりあえず、あとちょっとでオシマイ!
次はやっぱり、先生の話書かないとねー……
でもまぁまだ鬼の話なんで! 次も割とさくっと上げたいなー……