宇都宮戦争散歩。

と云うわけで、行ってきました、宇都宮。
ホントは一泊二日なのですが、仕事上がり後にスタートなので、散歩枠で。


† † † † †


7日の月曜日、仕事上がり後17:30に、JR新宿駅・新南口で待ち合わせ。
駅すぱでは、東北新幹線使えとか出てくるのですが、在来線でもOKだよね、と云うわけで、普通に宇都宮線で行く腹づもり。
が。
新宿勤務の沖田番、新南口の場所がわからず、迷う。おい、勤務地すぐ傍だろう!
何とか5分の遅れ程度で合流、埼京線で大宮、乗り換えて宇都宮線に。待ち時間が結構あって、地味に時間つぶしが必要と云う――なるほど、新幹線使えと云うはずさ。
8時ちょっと前に宇都宮に到着。お宿は駅前のチサンホテル宇都宮。チサンって初めてだ……
こないだから食べたかった(クリスピー何とかドーナツが、あんまり好みじゃなかったの……)ので、まずはミスドでドーナツをGet。夜食用で。
でもって、チェックインして荷物を置いてから、いざ街中へ。っても、まずは飯。宇都宮と云えば餃子でしょう!
駅前の餃文堂(?)でちまちまっと食べ(しかし、宇都宮餃子、あんま好みじゃないかも……)、まだ9時前だからと、ちょろっと探索に。


宮の橋を渡っててくてく歩き、まずは二荒山神社まで。ここ、宇都宮戦争3日目の攻防で、鬼が最初に布陣したところですね。
今時期、ライトアップ期間らしく、神社の門は閉まってますが、階段下からずーっと明るく照らされてる……
ここで変な写真(足元にライトの埋め込んである上に立って、怪しい似非心霊写真チックにしてみたり)を撮り、気が済んだので、そのまままっすぐ南へ下る。
途中、赤い橋のかかった小さな川を越える――これって、もしかして、城下町と門前町の区切りの橋? ってことは、この辺が古くからの歓楽街だな? まァここらへん、今はパルコとか建ってますが。


ちんたら歩いてゆくと、お堀的なものの向こうに、白いお城的なものが――あれが宇都宮城? だけど、全面復元じゃないんだなァ。案内図とか見ると、どうもこれ、古い城郭の北西部分のみ復元したってことらしい。土盛りした堤の上に、白い櫓が、間をあけてふたつ。うーむ。
どうやら資料館的なものがあるらしい、が、流石に9時過ぎでは開いてない。まァ、また明日だよね。
堤の上に上がる階段も今は閉鎖されてるので、仕方なく、城址公園をちんたらと歩く。犬を連れた女の人がいたりする。芝生が広いから、犬連れてくるのにはいいよね。
とか思ってぐるっと回ってると――えーと? 何、この不穏な空気。以前の下関・門司あたりには遠く及びませんが、何かこう、いやァな空気が流れてると云うか。
何となくびくびくしながら歩いてゆく、と、一本の若い木の下に、誰かがうずくまってるっぽい。え、いや、ちょっと待って、あれは何かの立て看板的なものだよね?


「誰も――いねェ、ですよね……?」
「いねェ、と思うが……行ってみるか?」
「いやっ、止めときましょう! 何かヤバい感じが……」
「門司ん時ほどじゃあねェだろ」
「でも、止めときましょう!」


沖田番に押し切られて、先へと進む。
と、何か集会所的な建物があって、横の自販機のところに親子連れが。あァ、こっちはちゃんとした人間だ。
何となくほっとして、公園の入り口まで戻って、元来た道を戻る。うーん、二荒山神社のライトアップは消えてた。あれ、後で見たのですが、10時までらしいです。
途中、コンビニで酒とお茶とつまみを買って、たらたらとJR宇都宮駅方面へ。
どうでもいいが、途中の標識見たら、「JR宇都宮駅→1.2km」とか書いてあったんですけど――ってことは、お城まではもっと距離があったから、初めての土地で、しかも夜間に、3km以上歩いたってこと? ……阿呆ですな、こいつら。
部屋に戻って、酒とつまみ、さっきのドーナツをかっ食らい、風呂に入って就寝。寝たの2時くらいかも。
チサンホテルは、結構いいお値段だっただけあって、ベッドも広く、中々いいカンジでしたよ。


† † † † †


でもって、2日目。
またしてもPHSのアラームを切り忘れ、沖田番にどつかれながら起床。
朝食(は、ホテル函館ロイヤルより美味しかった)後、駅のコインロッカーに荷物を詰めて、いざ出陣。
また宇都宮城、ですが、今回は、鬼が攻めこんだあたりから行ってみようという肚。宮ノ橋を渡って、田川に沿って歩いてゆくと、下に下りる階段を発見。そこから川べりへ下りて、道なりにてくてく歩く。
この田川、城の南東部では外堀的な役目を果たしていたらしい――っつーか、この辺外堀がないんだよね。埋め立てた、ってんじゃなくて、元からないっぽい。古い地図見ても、この辺だけお堀らしき図がないもん。まァ、街道はお城の西側を走っていたようなので、東は若干手薄にしててもOKとか思ってたのかしら。どうなんだろう。
ともかくも、川べりをてくてくてく。川はゆるやかに西へ曲がって流れていく。その曲がったあたりに大きな橋がかかっており、その手前の階段を上がって、一般道に戻る。
多分、この辺から攻め込んだんじゃなかったかな、鬼、とか思いつつ、しかしまっすぐお城の方へ抜ける道がないので、いったんかなり北上して、回り込んで南下するような感じで公園へ。……多分、本来のお城のかたちを考えると、宇都宮戦争時は、ちょいと上がったくらいのところで、内郭のどっかに当たったんじゃないかと思いますが。


ともかくも、まずは櫓の中を見よう、と云うことで、南っ方の櫓に入ってみる。
……えーとね、すんません、宇都宮城なめてました――絶対鉄筋コンクリートだと思ってた、けど、違った! すごいぞ、伝統の木組みでつくられた、すばらしい内部! 木材も張りものとかじゃなく、ちゃんとした材木を使ってます。いや、あれは一見の価値ありだ! 一部復元なのが残念ですが、それにしてもすばらしい! きちんと昔の工法を守って建てられてます。壁がやけに白くって、それでコンクリか? とか思ってたんだけど、少なくとも漆喰部分以外は昔のまんまの建て方だ! ……そこに火災報知器とかコンセントとかがあるのがおかしいんだけど。そこだけ現代。
でも本当、土台の石積みとかもきちんとしてて、そこに石段も作ってある、んだけどバリアフリーなので(ちゃんと、下から堤の上まで、エレベーターで上がれるようになってるの)スロープで上がるようになってるんだよね。石段は飾り。でも、飾りでもきちんとつくってあるってすごいぞ!
櫓と櫓の間の城壁も、きちんと昔の工法で作られていて、銃眼なんかもきちんと切ってあります。すごい。


すごいすごいと云いながら、下へ下りて、資料館的なところに入る。
と、閑(だろうなァ)だったらしき職員だかボランティアの方だかが、説明を買って出てくれました。……ボランティアかな?
宇都宮の成り立ち(二荒山神社門前町からスタート)から、戊辰戦争時の攻防についてまで、いろいろと教えて下さいました。吊天井の話は、実は初めて聞きました――戦国でも、この辺っつーか、神君家康公の家臣には、あんま興味がないからなァ。
しかし、この宇都宮城、もともと天守的なものは作られてなかったらしい。まァ、そうだよな、関ヶ原の後に築城された城って、大概天守なしか、基礎だけつくって実際には建てない、って云うのが定番だったもんね。仙台もそうだったし。それにまァ、宇都宮城って、日光東照宮に参拝する大名の宿代わり的な城だったらしいので、戦いとか想定してなかったんだろうなァ、っつーか、そういう造りだったらしいです。そりゃ、鬼にも簡単に落とせるわ。
ところで、戴いたリーフレットを見たら、何と!宇都宮の第35代目城主に「阿部正邦」の名前が! しかも、次の転封先が備後福山だ――姫=阿部正弘殿のご先祖ですね! 異な縁に、何となくにやり笑い。
でもって、「戊辰戦争に興味があるなら、六道の辻のところに幕軍戦死者の墓がありますよ」と教えて下さる――近くに、別々のお寺で、薩長軍と幕軍の戦没者をそれぞれ祀っているお寺もあるとのこと。地図も戴き、お礼を云って資料館を出る。
じゃあ、六道の辻へ行きますか。


宇都宮城址から西に出て、すこし南下したところで、また西へ。東武伊勢崎線を越えて、六道の辻方面へ。
微妙に迷いつつも、戴いた地図を確認しつつ、一向寺に――ここには、汗かき阿弥陀と幕軍戦没者のお墓があるのです。
何でも、汗かき阿弥陀と云うのは、国の存亡危急なる時に、汗をかいてそれを知らせる、と云う阿弥陀像のことらしい。一向寺に行ってみると、年配の男性が「頼めば見せてもらえるよ」と云ってくれる――が、うん、まァそこまででも。
とりあえず幕軍戦没者のお墓にお参り。次は、ちょっと先の報恩寺へ。
報恩寺は、薩長軍、っつーかまァ、所謂“官軍”戦没者のお墓のあるところ。
行ってみると、一向寺と違って、こちらはどことなく瀟洒なつくりのお寺でした。
戦没者のお墓は、何かいくつかに分かれてる――薩摩のが一番大きく、他に長州やら何やらのお墓(合葬だったような)が立ててある。
ところで、この薩摩のお墓のところに、何か戊辰・宇都宮戦争の原因とかを記した碑が建てられてるのですが――えーと、「賊、流山に拠り、その後逃走して宇都宮へ」的なコレって、もしかして鬼のことですか! 鬼のことなんですか! 意味がわからないよ、松方正義さん!
ともかくも、こちらにもお参りして、報恩寺を後に。


でもって、ちょいと先、ちょうど西原小学校の近くにある、和風雑貨とコーヒーetc.のお店に。
沖田番が何やらちょこちょこと買い物をしていると、お店の方が「コーヒー如何ですか?」……試飲させてくれました。おいしい。
コーヒーは結構いろんな種類があり、季節ごとのブレンドなんかもある模様。試飲したのは冬のブレンドでした。ちょっと前に試飲してたお客さんは、それ買ってた模様。私は買いませんでした――だって、買い置きのコーヒーがいっぱいあるので、そっちからあけないと! ……すみませんね……


でもって、さらに西へ進み、六道の辻に。
ふと見ると、民家の敷地の一角? に、鳥居が立ってて、その奥に幕軍戦没者のお墓が――どうやらこれ、長岡藩(姫の片腕、牧野忠雅さんの藩国ですね)の山本帯刀(だっけ?)が立てたものらしい――って云うか、あれ、宇都宮戦争時、長岡藩って幕軍に参加してたっけ?
よくわかりませんが、とりあえず墓碑に合掌。
でもってちょこっと行くと、五叉路っぽいとこに出るので、そこをちょっと北へ、行くと大きな木の下に小さな祠が――これが、六道閻魔堂らしい。
まァ、ここに実際“六道の辻”があったわけではない(ここの“六道の辻”ってのは、あくまでも六本の道が交差しているところ、的な感じだしな)のですが、まァまァアレだよね、とか云いつつお参り。


でもって、たらたらと道を北上、途中の古い民家(っても、大正〜昭和初期くらいだと思うけど)の写真を撮ったりしながら、宇都宮女子高の前あたりで道を右折、東武宇都宮駅方面へ。
大銀杏と松が峰教会を見ようと云う心づもり。
まずは松が峰教会へ。
ここは、大谷石で造られたロマネスク様式の教会、と云うことで――えーと、礼拝堂は二階、と書いてあったので、二階に上がってみる。中でオルガンの演奏をしてるなー。しかし、は、入りづらい……逡巡して(写真撮ろうと思ったけど失敗)、結局退散。外観だけ納めて、教会を後に。
って云うか、いつも思うんだけど、日本の教会って入り辛いよね。何かこう、敷居の高いカンジ。まァ、ゆるーい仏教徒ばっかのこの国で、敢えてキリスト教選んでる人たちの集まるところなんだから、確かにその辺のお寺とかとは敷居の高さが違うんだろうけど――それにしても、若干閉鎖的な感じを受けるのは、私の気のせいなんでしょうかね?
でも、ヨーロッパの教会とは、やっぱ何か違うんだよね……アレだ、世俗内なのに、修道院に近いような印象なのかも。


そろそろいい時間になって、空腹になってきたので、銀杏はスルーして、オリオン通りへ。地元ではおなじみ(らしい)の商店街ですね。
たらっと歩いていると、宇都宮物産館的なお店が。地場の野菜とかが売ってたりして、結構繁盛している模様。
ひょっと覗くと、2階でバイキング形式のランチを食べられるっぽい。ので、へろっと入って、ここでお昼に。食放飲放で¥1,470-だったかな? まァまァのお値段。お味もまァまァ。
デザートまで戴いて、さて、次は二荒山神社です。


昨日の夜は、ライトアップされてるのを見ただけ(既に閉門してた)だったので、今日は上まで行くぜ!
と云うわけで、石段を上がる――息切れするよ……おのれ、貧血! (今年の検診結果も、貧血でE判定だった+注意マークが6項目あった……)
上に上がって、とりあえずお参り。何か、結構由緒ある神社みたいですね――千六百年前から続いてるんだって! へー。
まァ、鬼が布陣したって云っても、多分階段の下か、せいぜい半ばくらいのところだと思うんですが。
しかし、こうして見ると、こことお城と近いなー。せいぜい1kmってとこ? それも、本丸からの話で、外堀(釜川のちょっと南くらい?)から考えると、500mくらいじゃないのかな?
近いなー、とか思いながら石段を降り、そのまま東へ――JR宇都宮駅へ。
駅前のララスクエアだの何だのをちらちらと見て回り、駅中でお土産を買って、帰りの電車に乗る。大宮で埼京線に乗り換え、さらに池袋で山手線に乗り換え。途中で晩御飯を食べ、沖田番と別れたのは9時過ぎくらいでした。
あァ、すごい歩いた一日だった。


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こんな感じの散歩でした。結局、2日で15km以上歩いたんじゃない?
今回のアレコレは、鉄ちゃんの話の加筆修正版で生かすことにしたいと思いますよ〜。


ところで、最近買った本のこと。
まずは「幕末1000人」(世界文化社)。前に出た「日本史1000人」とかの第3弾。
これが使える! 時節柄龍馬が頁数割かれてるのはまァアレとして、杉とか桂さんとか勝さんとか鬼とかのメジャーネームだけじゃなく、酒井玄蕃さんに1P割いてたり、中島三郎助さんに半頁で写真載せてあったり、1/9ページだったけど森彌一左衛門さんが載ってたりとか! すごい!!
お値段は¥3,800-くらいだったけど、これはその価値あると思いますよ。


ポプラ社発行の歴史を作った人びと伝23「勝海舟」、小学校高学年以上が対象の“児童書”なのですが、これがまた!
何だ、このマニアックな内容は! 勝さん周辺の人々、的なコラムの人選が、カッテンディーケ、大久保一翁さん、それから息子・梅太郎の嫁クララなのですよ! マニアックすぎる! 小学5〜6年生が読んでわかるのかこれ! ……あー、でも、私が子母澤寛読みはじめたのって、小学校高学年〜中学1年くらいのことだったか、そう云えば。
後ろの方には、お勧め書籍や映像作品なんかが紹介してあって、子母澤寛はもちろん、新人物の「勝海舟のすべて」やら、坂口安吾の「勝海舟捕物帖」なんかまで載っている――映像作品だと、「篤姫」や「JIN〜仁〜」も載ってましたよ。マニアックだ! 奥付記載の参考資料もマニアックだ!
ポプラのこのシリーズ、何か社長がやる気なんだそうで、現在第二期21〜30巻までを刊行中なのですが、この先も増えるかも、なのだとか。なので、職場のS課長ともども、「来期は是非高杉を!」とか云ってたら、児童書担当のKさんが、ポプラの担当さんに伝言してくれたらしいです。実現するかどうかは定かじゃありませんが、とりあえず希望は伝えてもらったぞ!


あと、「月刊高杉晋作 総集編」(ザ・メディアジョン――この版元のロゴ、あまりにパクリでどうなんでしょう……)。
これは、中国地方で出ているタウン誌的なものに連載されていた杉の話を、1冊にまとめたもの。版型がA4(ファッション誌サイズくらい)で、中はフルカラーと云うゴージャスさ。
“月刊”がつくので、雑誌と勘違いした総務さんが、私の書類入れに入れてくれたので、発行がわかったシロモノです。当然、S課長と予約を取ったので、ついでに通常の配本も若干出たという……PHPの勝部さんの本と云い、そう云うの多いぞ、うちの店。歴史の棚は、何気にマニアックなことになってると思う……
えーと、まァそんなにすごい内容、と云うわけではもちろんないのですが、「月刊松下村塾」が全部杉のネタで、しかもそれが合本になってる、と思って戴ければ、大体そんなカンジかも。史跡とかの写真も多く、地元ならではの愛情こもった出来上がりとなっている、ような。雑誌連載なので、わりと一般向けになっていて、高杉初心者でも結構入りやすいのではないかと思われます。
これで¥3,200-なら、まァまァそんなもんじゃないでしょうか。


あと小説で、「新選組 幕末の青嵐」(木内昇 集英社文庫)。これ、アスコムから出てたハードカバー版を、ブックオフで迷ったことがあります――文庫を社割で買った方が、安くて場所をとらなくって良かったですが。
うーんと、多摩時代〜鳥羽伏見の戦い、を、計16名の関係者の視点で語り継いでいく、と云う形式のお話。最後の章“記憶”のみ、鉄ちゃんの話を彦五郎さんが聞く、と云うような形式になってます。
うーんとね――はじめ、作者の人は男性なんだとばっかり思ってました、が、解説読んでわかりました、女性なのね、この方。女性にしては、文体がわりとドライ、って云うか、女性の新撰組スキーな作家さん特有の、何かこう夢見がちな感じがない。哀愁はあるんだけど――こういう云い方が合ってるかどうかわかんないんですが、暴力を抜いてガキっぽさを抜いた、半場利一みたいな。半場さんの方が、もっと殺伐としてるけどね、心象がね。
よくできたお話だと思う、が、難を云うなら、やはり視点の転換16人分(複数回の視点の話者も多数あり)ってのは、少々多すぎると思います。個々の人物の印象が、若干フラットになっちゃった感があり。もうすこし人数絞った方が良かったんじゃないかしら。面白いけども。
あとは、戦闘シーンとか戦争シーンとかがまったく描かれていない――これも、お話の印象をフラットにしちゃったところはあるのかも。緊張感とか盛り上がりとかが、↑こう云うシーンがあるものに較べると弱い感じが致しました。
とは云え、個人的には、秋山香乃の話よりは全然面白く読めましたけどね。これは、割と皆さん高評価の「地虫鳴く」を読んでみるべきか――まァ、文庫落ち待ちでいいや。


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さてさて、この項終了。
次は――年内に1章書き上げられるか、の、ルネサンス話〜。